何のために戦うのかっつー話
10年ほど前、アメリカでルームメイトだったアーミーの男が言った。
「自分の国が軍隊を持っている限り、戦争の危険は常に隣り合わせであり、万が一には
危険は家族に及ぶ。家族を守るために軍に入るのも、国民としての責任のとり方だ」
まじで人とか殺すつもりなの?と聞いた俺に、真剣に向き合ってくれた際の言葉。
俺はよほどのことがないかぎり、最近は人に憎しみも怒りを覚えなくなった。
トラブルにさらされても、自分が悲しくなったり、虚しくなったりする草食動物気質。
軍の訓練で日々満身創痍で部屋に戻ってきていた彼も、俺と同じタイプの人間だった。
武器は自分のためでなく、愛する仲間を守るために振るうのだ、と。そのために見知らぬ
誰かが傷つく覚悟も持たなければならない。この価値観は、平和憲法を持つ
国の人間にはわからないし、わからないのが本来の姿だと言った。
彼は人格者であり、学内でも評判のナイスガイだった。
・・・時は流れて資本主義社会という枠組みでは避けられない、ある種の
生存競争にさらされる日々、この時の言葉の意味を再考するようになった。
生存とは戦いかも、という話。
きつい時に救ってくれる仲間がいる。実際は、それぞれがみんな抱えている問題と
懸命に戦っている最中なわけです。なのに俺が怪我をしてうずくまっていたら
共同戦線を張ることができない。そんな折でも手を差し伸べてくれる
仲間は、その足踏みのせいで敵にやられる危険だって増える。
それでもしやられたりしたら、ダブルパンチじゃん。
俺が守ってやろう。周りの奴らを救える存在にならなきゃ。
そのために立ち上がって、戦い抜きたい。その道程の先で、第三者を
傷つけないようにとかケアできるほどに器用じゃない。(何かの台詞みたいだな)
俺が競争を放棄しない理由があるとすれば、きっとその一点になると思う。大義名分
なんかよりよっぽどリアルで、説得力のある理由、今の自分には性に合う。
今日も友人に、頭が上がらないくらい色々と世話になりました
それで思わず・・・暑苦しい日記で、すみません・・・・






